軽井沢高原教会
100年の歴史

— 軽井沢の歴史 —Prologue

軽井沢高原教会は、
2021年に100周年を迎えました。

1886(明治19)年、カナダ人宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーが夏の軽井沢を訪れました。冷涼な自然に触れて祖国の風景を思い出し、この地を「屋根のない病院」と称するほどに感動し、この地に別荘を建てたことから「避暑地・軽井沢」の歴史が始まります。その頃は外国人宣教師やその家族が多かったためキリスト教文化が根付く礎になり、軽井沢は西洋と東洋の分化が融合した独特な文化が形成されていきました。

イラスト:軽井沢高原教会を支えてきた人々

軽井沢高原教会を
支えてきた人々

イラスト:歴史の人々

History

1914(大正3)年、中軽井沢のほど近くで開業した星野温泉旅館は軽井沢の中心地の賑やかさとは対照的に、緑豊かでその静けさの中でゆっくりと時間を過ごせる場所でした。

ここには当時を代表する文化人らが多く訪れていましたが、1921(大正10)年の夏、児童文学者の鈴木三重吉、画家の山本鼎、作曲家の引田竜太郎、作家の島崎藤村、詩人の北原白秋らによって「芸術自由教育講習会」が星野温泉において開催されました。当時、子どもの個性を大切とする教育運動が盛んで、その教育運動の中心となる方々が星野温泉を愛用していました。時を同じくして星野温泉に訪れていたキリスト教思想家・伝道者であった内村鑑三も芸術自由教育講習会の特別講師の一人として招かれていました。

材木小屋を改装した粗末な場所が会場となり、翌夏からはその場所で「星野子供会」という子どもたちの集まりも開催されました。その様子を見守っていた内村鑑三が「子どもたちには善い学びと遊びをもって成長して欲しい」との思いを込めて『善遊善学』という言葉を残し、この集会所を「星野遊学堂」と名付けました。

後に軽井沢高原教会に改名されますが、100年の時が経過した現在も星野遊学堂の名は教会の建物正面に掲げられています。理念、思想、性別や年齢の区別なく、多くの人々の交流が生まれた「芸術自由教育講習会」を原点に始まった学び舎の歴史と伝統を、私たちは今も大切に守り続けています。

イラスト:牧師

Pastor

芸術自由教育講習会の講師の一人であった作家・牧師の沖野岩三郎は、太平洋戦争のため軽井沢に疎開していました。沖野は自らの別荘で日曜礼拝を行っていましたが星野温泉の当時の経営者、星野嘉政に請われ星野遊学堂で行うようになり、沖野岩三郎を初代牧師として迎えて正式にキリスト教会として歩みを始めました。

沖野岩三郎にはじまり現在に至るまで軽井沢高原教会の牧師は、芸術自由教育講習会から脈々と受け継がれた理念を尊重し、開かれた教会としての礼拝を守っています。

軽井沢高原教会に隣接する牧師館は、現在では、日曜礼拝に訪れた方々、かつて結婚式をされた方々と牧師の再会の場所であり、牧師との会話を楽しみながら軽井沢の教会文化や歴史に触れ、いつでも帰って来ることができる‟心のふるさと”としてずっとこの場所で開かれています。

イラスト:教会人

Staff

まだ電気も通っていない時代、多くの宣教師たちがランタンを持って人々のところに足を運び、その灯りが街を照らしていました。

軽井沢高原教会に携わる人々も牧師と共に、その時代の風習を永い時間を超えて受け継ぎ、夏とクリスマスには教会の森に今なお幾千ものランタンを灯しています。

人の手によって灯されたあたたかな灯りは軽井沢の風景となって、かつての宣教師たちの想い、軽井沢高原教会を創ってきた人々、ここで家族となり心のふるさととして帰って来る人々、ここで祈ってきたすべての人々のため、その想いを大切に、開かれた教会としての歴史と伝統を守りながら、いつでも皆様をお迎えしています。

イラスト:VOJA

Music

教会と音楽の結びつきは強く、遥か昔より祈りの形として特別なものとされてきました。

軽井沢高原教会の日曜礼拝で熱い歌声を届けてきたクワイア-The Voices of Japan-との縁は、日本ゴスペル界の第一人者である亀渕友香が幼少期に軽井沢高原教会を訪れていたことがきっかけとなって繋がり、軽井沢高原教会で祈りの形として歌われてきました。

また、日本のハープ界の父と呼ばれるヨセフ・モルナールがかつての星野温泉を訪れていたことをきっかけに軽井沢高原教会にハープが置かれ、今では礼拝堂内の象徴の一つになっています。ヨセフ・モルナールの奏でるハープの音色の心を継ぐ奏者たちが、今も礼拝堂に訪れる人々、結婚式の新郎新婦の心にそっと寄り添う音色を奏でています。

軽井沢高原教会を愛する音楽家の方々が奏でる音色は、教会へ訪れる皆さまとのご縁を繋いでいます。

イラスト:軽井沢高原教会を訪れる方

Epilogue

「芸術自由教育講習会」が開かれたこと、偉大な文化人、初代牧師 沖野岩三郎、そして内村鑑三との出会いがあったこと、軽井沢という特別な場所にあること、これらによって軽井沢高原教会は誕生し、100年が経過した今もなお、教会としてあり続けています。

多くの人々に祝福を届けるために星野遊学堂から積み重ねてきた歴史と伝統を継承しながら、軽井沢高原教会がこれまで醸成してきた大切なことを、ここに想いを寄せ祈る人々のために差し出し、教会を訪れてくださるたくさんの人たちをあたたかく迎え入れ、そして、またそれぞれの場所へと送り出す。祝福の光で照らす「丘の上の燈台」であり続けることが軽井沢高原教会に与えられた役割・使命です。

これまでもこれからもずっと、軽井沢高原教会はここで皆様をお迎えしていきます。

これからの100年も
開かれた教会として
皆様をお迎えします